Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年6月4日土曜日

俺も行きたいです『岸部露伴 ルーヴルへ行く』



読みたいなぁ、でもちょっと高いんだよなぁ、等と軟弱な事をぼとぼと漏らしておると、
ジョジョと聞けば
「『欲しい』…そんな言葉は必要ねーんだ。何故なら欲しいモノを頭に思い浮かべた時には!
実際に買っちまってもうすでに買い終わってるからだ!だから欲しいと思った事がねェーッ!
『買った』なら使ってもイイ!」

とばかりにもう何でもお金を注ぎ込みかねない上級ジョジョラーな友人が貸してくれたので、
僕は感想だけ。



原画は一度コレで見てました。

例えば上記のポスターにも使用されている、本作主人公「岸部露伴」のこの一枚絵。

ミケランジェロ『瀕死の奴隷』という彫刻作品のオマージュだそうですが、
ルーヴル、ナポレオン広場への遠景をバックに、左手だけならまだ頭でも掻いてるように見えますが、その右手は上着のベストをたくし上げ、ヘソ出しに一役買うという。

どう考えても、衆目の中でコレはおかしい。

前後のページからの脈絡もありません。
何故こうなるのか、ココからどう繋がるのか、そうしたストーリーの関係性は此処で一旦破棄されています。
しかし、書き文字で「ドォォォォォォ」と表わされているせいか、おかしな絵のシチュエーションのせいか、
素直に受け入れざるを得ない、何か変な迫力が在るのです。

たとえ一般的に「変」でも、全く本人は変とは思わない。変じゃない。むしろカッコいいと思ってる。
そうした作者と登場人物の強力な思い込みっぷり、強力な自分ワールドの形成感。
突き抜けた変態は、英雄を匂わせるのです。
正に全ページの中でも最もジョジョらしさの有るシーンがこの「絵」です。


そして、漫画誌の単行本では通常有り得ない、全ページフルカラー。
これがまた漫画自体にかなり印象的に効果を与えていて、
「えっ」と一瞬思考が止まる瞬間、「何だって」と何かに気付く瞬間、ただ押し黙って呆然とする瞬間が描かれる際に、
コマ全体、もしくはキャラクターが『白抜き』で描かれるのです。
僕達が実際に生きていて色を失う瞬間を、白抜きで表現する、というフルカラーじゃないと出来ない演出。
シーン毎の色合いの変化による演出にも、
フルカラーであることの喜びを噛みしめさせられます。

またジョジョ作中では漫画家である岸部露伴が、ルーヴルを取材の為に訪れるというストーリーですが、
実際に綿密にルーヴルとの連携が行われた成果が至る所に伺えます。
通常の閲覧室の様子、バックヤードの風景、そこに向かうまでの通路や内装の細々した部分。
ルーヴル美術館に行った事の無い僕の様な人間は勿論の事、
行った事のある人でも「あぁ、こんな場所が在るんだ」「美術館の裏側ってこうなってるんだ」と
まるで美術館の「お仕事」を見学しているような雰囲気が味わえます。

本編と比べると短編ながらも、きちんとジョジョらしい
「な…何を言っているのか分からねーと思うが
俺も何をされたのか分からなかった…」
という不条理な恐怖と、人間賛歌とが盛り込まれていて、
ジョジョのスピンオフとしても、一個の漫画作品としても非常に楽しめる内容でした。

こうした「マンガスタイル」のまま、ルーヴルに飾られた、というのは
村上隆が海外で評価されるよりもずっと、一人の日本人として、漫画ファンとして嬉しく思います。




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