Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年7月26日火曜日

藤田和日郎の描きたかったドラマはココに在る『月光条例 14』



僕は藤田和日郎さんの漫画が大好きで、
『うしおととら』『からくりサーカス』『黒博物館スプリンガルド』『邪眼は月輪に飛ぶ』その他短編集等等…
全て名作だと思うのです。

其れは全ての作品に熱い思いがあって、信念があって。
単純なエンターテイメントとして続きが読みたい、と思わせる以上に、込められたメッセージが読者に生きる力を与えてくれる作品だと思えるからです。

無論『月光条例』も藤田和日郎作品として、立派に「名作」だと思うのですが、
どうもうしとら、からくりほどの評価は得てない。
いや、僕自身、うーんこれちょっと微妙だなー、と思ってました。
思ってました


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簡単にこの漫画の最新巻までをまとめてしまうと、
ってのはウィキペディアでも見てもらうとして。

要は
おとぎ話の住人が、狂って現実世界や他のおとぎ話の世界で暴れ始めた為、
岩崎月光という主人公の高校生が、鉢かづき姫をパートナーに
おとぎ話キャラ達を正気に戻していく、というお話。

一見、うしとらの潮ととらの様な関係に見えますが、
どちらかと言えば潮と獣の槍の様な関係。

で、何故この作品がこれまで人気が出なかったかを考えてみると、
・主人公の「悪い奴が実はとても良い奴だった」感があからさまである事。
・正ヒロインがホイホイ彼氏を作る、というビッチっぽい設定で、かつ戦闘に絡んで来ない事。
・おとぎ話キャラを正気にする事で、そのキャラが狂気の最中に起こした事象が全て元通りになる、という設定から「死」の意味が薄い、シェンロン呼び出し放題のDBっぽい設定。
・主人公が上条さん並みの説教キャラである事。

こんな所でしょうか。
全体的に藤田先生、大人になっちゃったなぁという感じなのです。
説教臭いし、ご都合主義。
『うしおととら』の時の、脇目もふらない熱さでは無く、ちょっと大人になった余裕のある熱さなのです。
確かに不人気なのも仕方が無いかもしれません。

でも、だからこそ、藤田先生は原点を振り返りつつも、大人として読者に示唆を与えられるのです。

『月光条例』13巻・14巻においては、主人公の過去が描かれます。
何故、おとぎ話キャラでもない「普通の人間」の筈の主人公が、おとぎ話キャラ以上に「強い」のか。
それは勿論主人公が元々おとぎ話の世界の住人だったから。
多分これは連載当初からも薄々読者の感じていた事だと思うので、敢えてネタばれをします。

あぁ、もう調べればすぐ分かる事なので、もう何のキャラかってとこまで言ってしまいますが、
主人公・岩崎月光は青い鳥の主人公の一人『チルチル』です。
で、過去月光は、いやチルチルは、おとぎ話界の住人として「狂ってしまう」のです。
その際、チルチルは思いました。

「悲しい結末を迎える主人公の、運命を変えてやりたい」

そして、彼は『マッチ売りの少女』と出会い、
彼女の運命を、死の運命を変えることを決意するのです。

ここで、気になる作者の発言を一つ。
小さい頃寝る前にオヤジやオフクロによく読んでもらった「マッチ売りの少女」が気に入らなかった。
なんでかわいそうな女の子がかわいそうなコトになっちまうんだよ!!
だけど本のさし絵に正拳を叩き込んでもムナしいだけだ。
だから僕はそのパンチを代理のヤツにぶちかましてもらうことにした。

うしおととら、こいつらはつまり・・・
そういうヤツらなんだ。


(小学館「うしおととら」1巻 作者コメント)

もひとつ、どん。

かわいそうな「マッチ売りの少女」が嫌いで、僕はこいつらを生み出した。
少女を助けて戦うヤツら。でも。
少女を助けるヒーローなんざ、要らないのかもしれない。
7年間、こいつらに戦ってもらってようやくわかった。

だって。少女が戦わなきゃ。
ただ雪の中、手に息を吹きかけて泣いてちゃ、だれもふりむいちゃくれないもの。
戦わなきゃ。しんどくても辛くても、自分でやんなきゃ。(まんが描くのもね。)

ああ、ああ、そういうことか。
だから自分は、「マッチ売りの少女」が嫌いだったんだ。

 -背中をまるめてマッチなんてすってるんじゃねえ。-

なんだ、ようやく、わかったよ。
「うしおととら」は、つまり・・・そういうヤツらだったんだ。


(小学館「うしおととら」33巻 作者コメント)

近年発売されたユリイカ藤田和日郎特集号や画集・藤田和日郎魂などでは
藤田先生は漫画を描く原動力を「怒り」とおっしゃってます。
「物語」の中で、例えばそれは、
少女を死に追いやるような作者への怒りだったり、
物語の中で主人公を不幸へ追いやる他の登場人物への怒りだったり、
そもそもそんな境遇に自分で追いやられてしまう主人公への怒りだったり。

藤田先生はこれまでの漫画の中で、「不条理」と「無変化」に対する怒りを叫び続けて来たのではないでしょうか。だからこそ、同じ怒りを抱えた少年達に共感と救いがあった。

『月光条例』のこれまでの展開は、藤田漫画の伝統に沿って、そうした怒りを爆発させてきました。
でもちょっと余裕のある怒りだった。
それ故に熱さが足りないようにも見えた。
しかし、それはこの物語の本質が「怒り」ではないから。
この「マッチ売りの少女の話」が描きたかったためではないでしょうか。


「怒り」という感情は非常に一方的な感情です。
よく師匠ポジションのキャラクターが
「怒りに呑み込まれたまま戦うな」とか、
「憎しみは心を濁らせる」とか言って主人公を諭すのは、
怒りによってあらゆる判断が鈍ってしまうためです。

ここまでの『月光条例』は、平気で感情のままに、怒りのままに、物語の大筋を変更して来たにも拘らず、
「マッチ売りの少女の話」になった途端、物語の大筋は安易に変更すべきではない、という命題が提示されます。
話が違うじゃないか!
と怒りたくなるのですが、
きちんとそれについて説明付けがされます。


それを伝え終わると、マッチ売りの少女は悲しい悲しい自分の物語の中へ帰ってしまいます。

傍から見れば、どんなに不条理で、どんなに苦しい場所にも、それなりの意味がある。
その意味が取るに足らないものか、命に代えても守るべきものなのかは当事者にしか分かりません。
物事を一義的に否定してはならない、ただ怒れば良い訳ではない、のです。


藤田先生は大人になってしまいました。
うしとらの一巻の時のコメントと比較して、この立ち位置。
でも、決して、決してつまらない大人になってしまった訳ではありません。

そして、チルチル=月光が天の邪鬼である事、満月を苦手とする事の理由が明かされ、
終局へと幕開けが始まります。
未だ全ての謎は明かされ切っていません。

でも、一つだけ。
この漫画はこれまでの藤田漫画と同じ様に、完結した後、一度に読み通せるようになってようやく名作として評価される。
と予言しておきます。

あ、あともう一点。
この「マッチ売り」を通して、改めて僕は漫画や小説や映画といったメディアが好きなのでは無く、「物語」が好きなんだなぁと思いました。物語は人に力を与える。コレもまた、『月光条例』のテーマとして頭の片隅に置いておいてください。


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